Koji Uematsu

@hibermaster

Last stage

鉄棒のスペシャリスト
最後の試合で見た景色




引退を決めた本当の理由



「2年前には、決心していました」
意志は強い。大事なことは自分の中で答えを決める。
世界選手権はオリンピックの選考にもつながる大事な試合であった。
「代表選考に選ばれなかった時点で、引退を考えていたので」

体操歴23年、物心ついた時から、マットの上で練習を重ねることが当たり前の日々だった。小さなころにトランポリンに魅せられて体操教室に通う。中学までは野球少年としてクラブチームで活躍しながらも、最後に選んだのはやはり体操だった。仙台大学では弱小チームを全国3位にまで引き上げる。社会人選手への道を開いてくれたKONAMIには感謝しかない。

選手生命に関わる怪我を奇跡的に乗り越えながらも、オリンピックに出場することを目標にしていた彼が、夢半ばで自らの線引きを決意する。引退を決めてから、鉄棒を握る彼はどんな景色をみたのだろうか。

 




チームドクターからの提案



予選試合の2ヶ月前、チームドクターに声をかけられた。
「スポーツ心理学の先生についてもらわないか」と。
怪しいな、と思ったのは事実だ。宗教か占いか、あるいは心のケアなのか。となると周りから精神的に弱いと勘違いされる不安も感じた。彼の中でスポーツ心理学に対して、心の弱い人間が受ける心療内科のイメージを重ねていたからだ。

誰も成功させたことのない4連続離れ技を組み立てていた。しかし、練習を重ねても、納得のいく動きが自分でつかめない。練習時での成功率も20%だ。多くの方に支えてきて頂いた自分がここにいる。選手としては有終の美を飾っておきたい思いがあった。ふと、提案を受け入れてみようかと感じたのだ。スポーツ心理学から何を得るのだろうか、好奇心も自分を押した。理論的に、科学的にできるものならばやってみたい。それが何かを変えてくれるなら、最後の成功になるだろう。

心理学の取り組みを決めたその日は、奇しくも引退宣言した翌日であった。

 





スポーツ心理学との出会い




アメリカでスポーツ心理学はアスリートにとって必要な存在であり、選手の強さの理由でもある。軽くは理解しているつもりだ。技を成功させる様子は今までも映像として客観的にイメージしていた。

「個人競技なのだから、客観的なイメージは必要ない。目を閉じて、自分の目線で目の前の鉄棒を握ることが大切」。

大事なのは内的イメージだと教えられる。自分の目線を使って体感するイメージ法だ。驚いたことに外的から内的に変更するだけで、筋肉の感覚が完全に変わる。カラダが熱く反応するのだ。そして何よりも次の日の成果に劇的な変化が表れた。

トップ選手とイメージ法について語ってみる。常に自分の目線で見ているよ、と彼の考えは自然と心理学に沿っていた。強さには理由があった。スポーツ心理学との出会いをおもしろいと感じた瞬間でもあった。

次に緊張をコントロールする方法を学ぶ。自分の緊張をどこで上げて、どこで下げていくのか。演技に取り組む前の自分の動き一つ一つを理論付けする。理解してもらいにくいのだが「緊張しすぎない」という性格が集中力につながらないのが悩みでもあったのだ。自分をコントロールする技を学ぶことで、日に日に自分のウィークポイントが変化して行くのに気づいた。

 




みえたもの、感じたもの




世界一の演技を観てもらいたい、ただ喜んでもらいたい。
目標はもうメダルではなかった。試合前、この2ヶ月で得た事を思い返しながら会場に立つ。深呼吸をしてゆっくり進んだ。誰もが出来なかった技、自信をもって挑戦するように自分を高めていく。

ワッと広がる歓声。
4回続けた離れ技に会場全体がどよめいた。
その驚きと感動が、彼を何よりも満足させた。
美しい着地で締めくくる。
引退を選んだことに、もう悔いが残らなかった。

そして同時にスポーツ心理学への感謝を感じる。否定することからはじまった学びが、その導きと結果により真実へと変化した。


彼は笑って言う。「僕自身はめげないし前向き。人との会話もうまくやり抜ける。ストイックに自分を追い込むことも苦ではないから、強い人間の部類だと思う」
スポーツ心理学と10年前に出会っていたのなら、今とは違った自分がここに立っていただろう。後悔を感じるが、引退を決めてから学べたことにも意味があるのかもしれない。この悔しさを目標に変えてみたいと考えるようになった。

 





渡米への思い




2年前に引退を決めた時は、講師として指導の現場に立つことを考えていた。地位や安定のある仕事だ。でも、もっとやるべきことがあるんじゃないかという気持ちも残っていた。

伸びたいのに出口やきっかけがみつからない選手は多くいる。トップを走り、悩み抜いた自分であるからこそ、彼らを理解し、大切なことを伝えられるのではないだろうか。自分が経験したことを後から続く選手へ伝えたいという思いが彼を動かした。

トップアスリートを引退した後、スポーツ心理学を大学で勉強した男性はいない。一般的なトレーナーの資格を得ることは簡単だが、修士を取ることにこだわった。やるなら本気で本物を目指したい。オリンピックを追いかけてきた彼だからこその選択は、その道のスペシャリストだった。

心に決めてからは早かった。日本のスポーツ心理学の研究はアメリカより数年遅れている。ここで学ぶことはすべて古い情報になっている。調べる中で、自然と留学の道を選んでいた。カルフォルニア州にあるバークレー校に声をかけて頂き、秋から体操の指導者としてスタートできることになった。大学院でスポーツ心理学を学び、マスターを取ることを目標にする。シティーカレッジで英語を学ぶことから始める道のりは彼にとって簡単ではない。目標は4年後の帰国だ。そこからは今とは逆に、選手を支える立ち場で活躍してみたい。

 




そして、これから、、、




引退後、多くの仕事に声をかけて頂いた。しかし、自分から選んだのは、うわさで聞いた地域の子供サークル。もともと子供は大好きだが、自然とトップアスリートが集まることが気になった。
代表のママは体操の世界を全く知らない運動が苦手なお母さんだった。
今までのキャリアを背負わなくていいこの場所は、選手として走ってきた彼をリセットしてくれる居心地のいい場所でもあった。

しかし、会としてはマーケティングにこだわる。指導に対する方針や考えは自由でありながらも、構想を求められる。そして、それを外にわかりやすく伝えていくことも指導者の責任の一つであるという考えだ。自由という名の責任から学ぶことも多い。
「鉄棒と社会貢献を組み合わせてみる?」と何にも縛られないアイデアや発想は、未知の世界だった。出発までのこの時間も多くの刺激を受けている。

「こうして自分の考えを話すことも、今までの自分じゃあり得なかったと思います。」
出会いと学び。すべての点と点が、いつか線となって人生をつなげてくれるのだろう。


体操にはたくさんの技がある。
自分なりにアレンジして出来た時の喜びは忘れられない。
新しい技が出来たときの楽しさを思い出すように、これからの出会いを楽しみたい。
自分だから経験できたことを、今後の人生で表現したい。


植松鉱治、29才。
ようやくたどり着いたスタート地点。
彼の求める未来が、手の先に見えてきた。